2005年12月12日

視察終了しました!パート3

やっと「河守まちづくり委員会」が終了しました。
委員会の様子も報告しますが、まずは視察の報告の続きを(笑)。

どこまで書きましたっけ?(笑)

あっ、そうそう「口北原」まで書いてましたね。
ここでちょっとした発見をしました!
口北原に流れている川って「大谷川」という呼び名なんですね。
photo033.jpg恥ずかしい話ですが、今日初めて知りました。
で、林道は「大谷林道」と言うらしいです。と、なると河守にある大谷川と全く同じ呼び名ですね〜。
混同しないようにちゃんと覚えておきます。

でわ「本題」に入ります(笑)。

で、これでとりあえず午前中の視察は終了しました。
この後グリーンロッジに向かい、昼食休憩をとりました。

そして昼食休憩を終えたあと、次の視察地に向かいました。
次は二箇上の「下水処理場現地」に向かいました。

起工式に出席してから数ヶ月ですが、結構できていますね〜。
photo024.jpg担当課長の説明によると、「早ければ4月の利用可能地域もあるのでは」とのことでした。ただあくまで「早ければ」ということですから、実際は「5月」が開始時期くらいになるようなことを言っていましたね。まずは小学校などの施設が優先されると思いますが、なるべく早くみんなが利用できるようになってほしいですね。

続いては「千原可燃物処理場」に向かいました。
ここは閉鎖が決まっています。でも「もったいない」気がしますね〜。
で、現場に到着して、「寂しい」気持ちになりました。
理由は↓の写真を見ればわかると思います。
photo025.jpg見事に「何もありません」よ、本当に「あれっ?」と一瞬思いましたからね。しかし見事になくなりましたね。僕が「寂しく」なった気持ちがわかってもらえたでしょうか(笑)。もちろん町民課から報告も受けていましたし、解体されたのも知っていました。けど実際に「現場」を見るとやはり「寂しく」なります。今更ながら「あ〜、本当に合併するんだな」って思います。

この後は千原の築堤工事の状況を見に行きました。
写真は河東公民館から撮ったものです。
photo026.jpgphoto027.jpg
とりあえず「計画高」までの土盛りはほぼ終了しています。
これから大事なのは「町全域」を見据えた、治水計画が必要でしょうね。
これだけの堤防を作ると、規模に応じた「橋」も必要ですしね。


この後は幾つかの「道路改良」の様子を視察しました。
災害とは直接関係ないのですが、今日の視察は「災害関連」だけではないので写真は載せておきます。

photo028.jpg←は「フケ線」です。正直呼び名「初めて」知りました(笑)。場所は常津ですね。本当はこの前に尾口の「風呂谷丁田線」にも立ち寄ったんですが、「写真」撮るの忘れてました。まあ人間ですから「ミス」はつきものです(笑)。

この後は河守築堤の状況を見るために、波美に向かいました。
現状はこのような感じになっていますね。
photo029.jpgphoto030.jpg
しかし、これだけの高さになると、ちょっと「川が見えない」恐怖がありますね。
堤防を作るだけでなく「内水」対策も必要になってきますね。
これは僕だけの意見でなく、全議員の思いですね。
「災害に強い町」は町民全ての願いだと思います。

で、その後は「最終視察地」に向かいました。
向かったのは北四でした。
「宮ノ奥川」でした。僕は災害当時の写真を持っていないので、現在の写真を載せます。
photo031.jpg写真で見ればこの川も小さいんですけど、川側の人家は浸水したそうです。で、災害当時は、土砂で「宮ノ奥川」は埋まってしまったそうです。正直想像がつきません。災害当日は凄い勢いで、水が流れていたそうです。

この後、役場に向かい、解散となりました。
今回の視察を終えて思ったのは、「復旧に向かう大江町」と「真の復興を待つ大江町」があるなということです。
確かに復旧は進んでいますが、まだ全てが終わったわけでもありません。

真の復旧、そして復興はこれからです。

そのことを強く認識しました。

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