2005年12月12日

視察終了しました!パート2

長々と書いていましたが、まだ続きがあるので書きます(笑)。
ちなみにまだ「午前中」のことも書き終えていません。

橋谷を視察後、僕たちは「北原」に向かいました。
ここも災害後に視察に来て「…」となった場所です。

まずは「内宮北原線」「北原川」に向かいました。
ちなみに昨年の様子はこうでした。
photo018.jpgこの写真は議会視察で撮影したものではなく、それ以前に撮影したものです。もうこの時はただただ「…」状態でした。大江山山麓の水量が多かったとは聞いていましたが、まさかこれまでとは思いもしていませんでした。町内の様子を知りたくて、回っていたんですが本当に自然の力の凄まじさを思い知らされました。

photo019.jpgで、これが議会で視察に行った時の写真です。僕が行った時からそんなに日数は立っていませんでしたから、もちろん状況はそのままでした。ただこの奥の人家の様子を知っている人がいませんでしたね。実はこの奥の家も土砂崩れで、家に泥が大量に流れ込んでいました。上の写真を撮った時に僕は、その奥の家も訪ねたんです。その時は親戚の方などが、家の泥を運び出していました。どうやら道路がこの状況だったので、被害状況が伝わっていなかったようです。やはり各地区に防災支部があるのだから、被害状況が正確に認識できるシステム作りが今後求められるでしょうね。そのためには支部と地域の繋がりをこれまで以上に密接にする必要があると思います。ちょっと話ずれましたね(笑)。

で、現在の内宮北原線はこのように復旧しました。
photo020.jpgphoto021.jpg
本当に奇麗になりました!
聞く所によると、舗装が完成したのは先週の土曜日だそうです。
災害から1年以上立ちますが、まだ完全に復旧が終ったわけではないことを改めて感じました。

photo022.jpg←の写真は北原川です。こうやって見れば小さな河川なんですが、自然の力によってあれほどの被害を生み出すのです。本当に自然の力の凄さを思いしらされました。

で、北原に来るまでに移動中の車で会話をしていたんですが、山は本当にそのままです。
他の議員が「何とかならないのか?」と課長に聞いておられましたが、
「まずは個人が動いてもらうことが先決」との答えでした。
個人所有物を行政が勝手にはできない、ということです。これは確かにそうだと思います。

「自分でやらなきゃいけないのなら、放っておく」と考える人が多いのでしょうか?
もちろんそういう考えの人がいないとは言えませんが、「そこまで手が回らない」のが現状なのかもしれません。
あれだけの災害の後ですから、なかなか山に手をつけようと考えられないのかもしれません。
しかしこのままでは、山は荒れる一方ですし、次同じような台風が来たとき被害は「昨年以上」になってしまいます。

やはりこれから大事なのは「行政依存体質」から脱却し、行政と地域が「恊働」していくことが必要でしょう。
特に合併を控えた大江町に、意識改革が求められるのではないでしょうか。

で、続いて「口北原線」に向かいました。
この道路が被害にあったために、災害時には完全に交通ができない状態になっていました。
救援物資がヘリコプターで送られたのもそのためです。
被害状況を伝えるために、当時の区長が歩いて報告にいったそうです。
その行動力には頭が下がります。本当に大江町民たくましいです!ぜひ見習いたいものです。

それで…、すいません災害当時の写真がないんですよ。
撮ったはずなんですけど…。
と、いうことで復旧した様子だけを載せます。
photo023jpg凄いです…、全く「別の道路」に生まれ変わりました。道幅も確保されていますし、舗装も完了しています。こういう状況を見ると「少しづつ復旧が進んでいる」ことを実感できます。

で、すいません全部報告をしたかったんですが、今から「河守まちづくり委員会」に行ってきます!

残りはまた後で!

行ってきます!

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