2005年12月12日

視察終了しました!

今日は「災害復旧」などの進行具合を見るための現地視察でした。
昨年の今頃にも災害現場を視察に行きましたが、その時点では「これは本当にもとに戻るのか…」
と、いうような状態の所ばかりでした。

では視察の報告を行いたいと思います。
photo002.jpg

今日は「町内全域」を視察しましたが、基本的に担当課から説明をうけたものを報告します。

まずは「小谷」を視察しました。
ここは人家の崖が崩れそうになり、大変危険な箇所でした。
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視察に行っている議員の大きさと比較すればよくわかると思いますが、かなりの規模で崩れています。
説明に振興局から3名来て頂き、復旧事業の内容説明を受けました。
住んでいた人は「台風の時は雨風の音が大きく、崩れていることには気付かなかった」そうです。
で、緊急性・早急性の面からも早い対策が必要だったわけです。

そういえば振興局の方が「もっと復旧したいとことはあるんですが、財政事情が…」とも言っていました。
確かに現在の国・府の財政事情が厳しいのは理解しています。
でも僕らはそれでも要望を止めるわけにはいかないんですよね(笑)。

次は「菖蒲谷屋敷線」に向かいました。
ここもかなりの崩れ方をしていたんですが、現在はこうなりました。
photo005.jpg何かこれだけ見ると「大丈夫?」と思うかもしれませんが、登ってみたら「かなり頑丈」だったので大丈夫だと思います。ただ子どもが登ったりしないように、気をつける必要はあるかもしれません。ちょっと担当課長に聞きそびれんたんですが「どれくらいの年月もつのか?」疑問には思いました。ただ災害箇所に合わせて適正な措置を取っていると思うので、安心していいものだとは思います。でも「見た目」はなんとかならないんですかね〜(笑)。まあ見た目より「内容重視」なのはわかってますよ!

続いて「河西金山線」に向かいました。
ここは河西地域にとっては、かなり重要な道路で一日も早い復旧が望まれていました。

ちなみに昨年視察に来た時の現場は↓の状態でした。
photo006.jpgイヤこれは本当にもう「自然の驚異」を物語ってますね。一体どれくらいの力がかかったら、こうなるのでしょうか?本当に自然の力は「魅力的」な一方で、「驚異的」でもありますね。台風23号は由良川を氾濫させただけではなく、山地にも大きなダメージを与えたことがわかります。

しかし人間の力も凄いのです!現在ここまで復旧しました。
photo007.jpgあっ…、すいません、あまり「復旧」したような写真撮れてないです(笑)。ただ本当に「昨年」のことを考えたら、「よくここまで」という状態に復旧しています。今後の予定としては「何とか年内に開通を」ということでした。ここが復旧したらかなり交通的には便利になると思います。しかし僕ももうちょっと、考えて写真撮らないとダメですね(笑)。

続いて「小原田公庄停車場線」に向かいました。
様子はこんな感じです。
photo008.jpg実はこの現場は、一度作業中に「さらに崩落」があったそうです。確か町内放送でも「通行禁止」言っていたんじゃないでしょうか?現場で作業をしていて「小石が少し落ちてきた」そうです。それで「危険だ!」ということで、早急に避難したそうです。そしたらその後すぐに、大量の土砂が落ちてきたそうです。幸いにも人的被害はありませんでした。しかしさすがプロですね、現場の「危機回避」能力が凄いです。で、その後、写真のような状態になっています。


ちょっと記事が長くなりそうですが、大事なことなので続けます。
続いては「天田内」に向かいました。農地災害の復旧状況を視察するためです。
僕は昨年の災害後、河守防災支部で河守井根の視察に行きました。
その帰り道で天田内を見て正直「これは本当に復旧できるのか…」と思いました。
現状はこのようになっています。
photo009.jpgまたまた「復旧度合いがわかりにくい」写真ですけど、勘弁して下さい。しかし、本当にこのあたりもかなり復旧が進んでいました。正直1年前を想像すると驚きです。やっぱり自然も凄いですが、人間もたくましいです「特に大江の人」はたくましい!で、担当課長からの報告がありました。「農地災害155件中152件は発注済み」だそうです。残り3件は年内に発注したかったそうですが、新市に引き継ぐことになったようです。

ちなみに視察現場の数が多かったので、僕も記事内容を間違えているかもしれません。
もしこのサイトを見ていて「おかしいのでは?」という所を発見したら、ご連絡下さい。
特に「もしも」担当課長がこの記事を読んで「それは違う!」という所があればご指摘お願いします。

僕も「間違えた情報」は発信したくないですからね(笑)。

さらに続いて「橋谷」を視察に行きました。
ハッキリ言ってここの災害当時の様子は「凄まじい」の一言でした。
ちなみに↓が昨年議会で視察に行ったとき撮影したものです。
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本当に「どういう力が働いたのか」全く想像できません。
振興局の方が「不幸中の幸いはここに人家がなかったこと」と言っておられましたが、本当にその通りです。
もしここに人家があったら…、想像しただけで寒気がしますね。
何度も言っていますが、この現場を見た瞬間も「これ一体どうやって直すの?」と思いました。
山地被害はここが最大級でしたからね。

しかし、しかしですよ、本当に人間の力も凄いものです、ここまで復旧させるんですから。
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説明によると、ここは地盤が柔らかいためにコンクリートでの工事が無理だったそうです。
歩いてみましたが、確かに地盤は柔らかかったです。
そこで写真のような形式の工法を選ばれたそうです。
あれは「ダム」の一種で、鋼性の枠組みのなかに石を詰め込んだものです。
僕のもらった資料には「治山ダム」と表記されていました。それを3基設置したのが今回の事業です。
治山ダムの向こうには、水を流すための水路も確保されていました。
しかしさらに上部に対する対策が必要なため、現在調査が行なわれています。
取りかかるのは平成18年度から19年度にかけての予定だそうです。

さすがにちょっと長いと思うので、分けて書きます(笑)。

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