2006年6月 3日

懐かしの…

ソフトボール大会の準備が終わった後、僕は車である場所に向かいました。
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まあ秘密にするわけじゃないですが、どこなのかはナイショってことで。

つ〜か、この後の文章や写真で「わかる人にはわかる」と思いますけど(笑)。

え〜、ここは「金比羅丸」が置かれている倉庫です。
何やら聞いた所によると、「倉庫の入り口が小ちゃくて、金比羅丸が入らなかった」と言う伝説を持つ倉庫です。

結局「入り口」を作り直したらしいです(笑)。

で、ちなみに金比羅丸ってのは、毎年7月の第2土曜日に行われる「金比羅祭り」で活躍する船です。
まあ船って言っても、水には浮かないんですけどね(笑)。

ちなみにこんな感じ↓で置かれています。
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この船に太鼓やら乗せて、みんなで引っ張って街中を巡航するわけです。

ただし岸和田のだんじり祭りほどはスピードを出しません(笑)。

で、今日はこの船を見に行ったわけではなかったんですよ。

僕の目的は↓コレを取りに行くことだったんですね。
photo689.jpg
昭和41年当時の「北丹鉄道の時刻表」です。
ちなみに「河守駅」のモノですね。

3月13日の消防車庫引っ越しで発見されたんですよ。
で、その時点で「宮木君持って帰ったら?」と言われてたんですよね。

僕としては「ぜひ欲しい」と思っていたんですよ。
で、何故今まで倉庫に置きっぱなしだったのか?

理由は簡単「運ぶ手段がなかった」からですね(笑)。

ちょっと歩いてもって帰るにはね〜、持ち歩くのには恥ずかしいですし(笑)。

で、実際の北丹鉄道はこんな感じ↓でした。
photo690.jpg
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結局この北丹鉄道がなくなってから、かなりの間「大江町には鉄道が無かった」わけです。

その後、宮福線(現在の北近畿タンゴ鉄道)が開通したわけです。

北丹鉄道との共通点は…、まず「運行本数が少ない」ことですかね(笑)。

で、僕が何故こんなに「北丹鉄道の時刻表」が欲しかったかと言いますと…。
「いずれプレミアがつくのでは」なんてことは一切考えていません(笑)。

え〜と正直に言います。
聞いた話によると、この北丹鉄道ってかなりスピードが遅かったらしいんですよ。
ホンマかウソか知りませんが「発車後に飛び乗った」なんて話があるくらいですからね。

しかしこの「おそ〜い」北丹鉄道に跳ねられた人が居るんですよ。
まさかと思うでしょ、そうです僕の祖父です(真実)。

僕が聞いた話によると、祖父が39歳の時に跳ねられたそうです。

つ〜か、いくら遅い鉄道だとは言え、「よく生きてたな」と言うのが正直な感想です。
家族ですら「もう無理やろ」と思ってたそうですからね。

で、昨年に祖父が亡くなったわけです。
そしたら今年「たまたま」この時刻表を発見したわけです。

「祖父が跳ねられた鉄道の時刻表」って言う、「無理がある」関連付けですけど、何故か欲しくなったんですよね。

で、合併して無くなった、大江町の思い出って言う意味でも置いておきたかったんですよね手元に。

現在は僕の部屋に置いているわけですが、いくつか面白いことを発見しました。
写真からもわかると思うんですけど「列車番号が欠けている」わけです。

で、欠けているのは「1」「12」ですね。
ムリヤリ消した跡がある(笑)。

で、消されたダイヤは「朝一の下り(福知山から)」と「最終の登り(福知山へ)」ですね。

もうこれだけで、当時の利用状況が推測できますね。

実際に営業休止になったのは1971年(昭和46年)です。
で、1974年(昭和49年)に廃止、つまり僕が産まれた年に廃止となったわけです。

僕が今回持ち帰った時刻表は昭和41年当時のモノですが、列車数が減らされているように、当時から経営は厳しかったんでしょうね。
車もボチボチ普及しだした頃ですからね。

しかしこんな時刻表一つで、当時の様子が思い浮かべられるわけです。

この古ぼけた時刻表…じいちゃんの思い出とともに、大事に保管しておきたいと思います。

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