2005年12月22日

雪が凄くて…

今日もかなりの量の雪が降りつづけています。
今日は最後の議会だよりの校正を、委員長と僕で行う予定です。

でも雪で完成品が届いていません…。

仕方がないので議会事務局のパソコンで今現状を書いています。

そういえば今日は役場の「第一次お引越し準備」の日で、みんな大変に忙しそうです。
特に書類の整理などが大変そうです。

カメラを持っていれば様子を撮影できたのですが、あいにくカメラを持ってきていません。
また携帯のカメラの使い方はまだ「全く」理解していません(笑)。

しかし本当によく降る…。

2005年12月20日

最後の議会だよりを入稿

本日は「最後」となる議会広報特別委員会でした。
日程に予定がないので、厳しいスケジュールの中作業が行われました。

僕は昨日は祖父の葬儀があり、委員会を欠席してしまいました。

で、今日は「昨日の分もガンバロウ」と思っていました。

しかし、結果はそうなりませんでした…。

やはり2年9ヵ月の年月は人を成長させます。

今日の委員会で僕の仕事はほとんどありませんでした。

原稿チェックから、レイアウトまでほとんどが終了していました。
しかも、昨日は雪のため作業を開始したのは午後からだったそうです。

正直議会広報の仕事は毎回「あ〜、しんどい」と思っていたのですが、終るとなると寂しいです。
定例議会後に広報の仕事は始まるので、広報委員ではない議員がうらやましかった時期もありました(笑)。

ただこの委員会は本当に「政党」「会派」の壁を越えて活動をしてきたと思っています。
言っておきますが今年1月の「町長選挙」中でも広報委員は顔を合わせていたんですよ(笑)。

まあ正確には選挙が始まる少し前ですけどね。

どんな状況においても、広報委員会は締切を守りそして議会だよりを発行してきました。

う〜ん、やっぱり複雑な気持ちですね〜。
嬉しい気持ちが半分、寂しい気持ちが半分ってとこですね。

議会広報の日です

今日は議会広報特別委員会です。
昨日は欠席をしたので、今日はその分を取り戻すべく頑張りたいと思います。

今回の目玉は議員全員による「寄稿文」でしょうね。

僕は文字をデータ化するために、全ての原稿を預かっていました。
で、文章を全て打ち込んでいったんですが、それぞれ議員によって表現の仕方が違うので中々に面白かったです。
photo063.jpg
そして、今気付いたのですが、昨日の記事がちょうど「100件目」でした。

まあ実はここ数日で、見事に身も心もボロボロなんですがここで沈み込むわけにはいきません!

今まで以上に前向きにたくましく頑張っていきたいと思います。

しかしこの雪だけは、なんとかならないのかな〜。

では、行ってきます!

2005年12月18日

こういう時に限って

実際はいろいろあって大変な時期なんですが、こういう時に限ってやることが重なります。
明日は「議会広報特別委員会」の予定でした。

僕は一応「副委員長」ですし、今回の特別企画を担当しています。
しかも今回の議会だよりは最終号です。

本来ならこれらも「ほったらかし」にしておきたいくらいなんですが、そういうわけにもいきません。
だから今は「原稿」をひたすら必死に書いています。
photo059.jpg

しかし気持ちのあせりとは裏腹に、なかなか作業が順調に進んでいません。
あ〜、夕方までには終らせたいんですけど…。

頑張ります!

本来なら…

祖父が亡くなって、一日が経ちました。
本来なら喪に服し、しばらく更新をしないのが正しいのかもしれません。

でもこのような状況でも、議員としての仕事は残っていますし、現実に今も作業中です。

もちろんイベントにも携わっていますし、それらを今後放棄することもありえません。

僕の祖父は物事を中途半端に進めることが嫌いな人間でした。
祖父の意思をそのまま引き継げているかは、まだわかりませんが、これまで通りに更新そして報告をしたいと思っています。

2005年12月16日

最後の定例議会終了

今日は本会議「一般質問」の日でした。
質問人数は2人で、最後の質問者は共産党の井上議員でした。

議会日程が全て終了した後、町長からの挨拶がありました。

そして最後は議長が、閉会にあたっての言葉を言われ「最後の定例議会」は終了しました。

これでここに「写真」があれば、最高なんですがもちろん僕は写真を撮っていません(笑)。
ただ両丹日日新聞や京都新聞が、議長の許可を得て写真を撮っていたのでいずれ掲載されると思います。

まあ僕は2年9ヵ月という短い期間でしたが、僕の10倍近くの年月を議場で過ごされた方もいます。

みなさんいろいろな思いがあるんでしょう。

僕も「涙」が出るほどではないですが、やはり寂しさを感じます。
残り期間が半月を切っていますが、まだ実感が湧いてこないのも事実です。

今年の年末年始は何か複雑な気持ちになりそうですね。

2005年12月15日

なんとか起きれました

チラシの手直しを終えて寝たのが「深夜3時」頃でした。
さすがに議会に「遅刻」はまずいので、電気をつけたまま寝ました。

こうすると「眠りが浅く」なるので、朝早く起きれます。

ただお勧めはできません(笑)。
必ず体にダメージがきます、間違いないです。

で、今日は本会議「一般質問」でした。

ちなみに夜久野町では一般質問は「0」だったそうです。
三和町は「1」だそうです。

それに比べ大江町は「6」です。
ただ前にも言ったように「何聞いたらイイの?」って感じでしたので、ある意味今日の質問は「楽しみ」でしたね(笑)。
まあ本当は僕も一般質問をするべきだったとは思うんですけどね…、やっぱ聞きにくいですよ。

だって残り半月で町長以下特別職は失職で、職員にしても内示が出たばかりですからね〜。
おそらく「それどころじゃないんです!」が本音でしょう(笑)。

で、一般質問に入る前にいくつか、追加議案が出されました。
特に「平成17年度一般会計補正予算(第9号)」は最後の予算書だと思います。

主なものは歳入で「ゆめはうす土地売払収入」で315万円、歳出で「商工会特産品開発補助金」で60万円、
「空き店舗活用にぎわい支援事業補助金」で210万円、といったところです。

・「商工会特産品開発補助金」60万円
  駅前の「いなほ」を商工会が借りて、特産物を加工することに対する補助金だそうです。
  ちなみに農協と商工会で賃借契約を交わすことになります。
  
・「空き店舗活用にぎわい支援事業補助金」210万円
  ゆめはうすをナイン商店街が有効に利活用できるように、建物を修繕する費用。
  
後は「災害復旧費」で「過年発生災害復旧工事」に6080万円、これは農地災害の復旧工事ですね。
12件分の費用です。

まあこれと言って「反対」することもなかったんですが、「いなほ」の有効活用はもっと早く取り組めなかったのかな〜と思います。
商工会だけでなく、町内各種いろんな団体や個人が使用できるようにはできなかったんですかね〜。

この後はいくつかの「同意」が出されました。
23日の式典で表彰を受ける各種「功労者」に対する同意を求めるものでした。

で、この後「発議第3号」が追加日程として出されました。
「地方の道路整備の促進と財源の確保に関する意見書」でした。

ようは一般財源化されようとしている「道路特定財源」を、「地方の道路整備のために確保してください」という内容でした。
はっきり言って、今後の地方自治体に求められるのは「全体バランス」を見極めた改革です。
道路整備は必要ですが、そういう「ハード面」だけを追い求めてはいけないのではないかと考えています。

僕は小泉首相の改革を全て認めているわけではありませんが、この道路特定財源の一般財源化は大賛成です。
これは日本が「未来を見ないハード事業優先」に走った時代の遺物みたいなものですからね(笑)。

こんなのあるから「道路族議員」なんているんですよ。

で、この意見書については「新風の会(高橋 進議員、僕)」は反対しました。
共産党議員団も反対したので、評決は「賛成8、反対5」でした。

こういうこと書くと「宮木君は共産党か!」と言われそうですが、自分の信念に従っただけです。

そしてこれらの追加議案の審議が終了して一般質問となりました。
本日は4人の議員が一般質問を行ないました。

やりとりは「予想通り」のものもあれば「意外」なものもありました。
詳しく書けばいいんですけど、さすがに量が多いので今日は勘弁して下さい(笑)。

2005年12月14日

最後の委員会が終了しました

午後1時30分から「大江町の将来に関する調査研究特別委員会」がありました。
おそらく「最後の委員会」になると思います。

今日の委員会では「完成版」の「くらしのガイド」が配付されました。
photo049.jpgphoto050.jpg
各戸に配付されるのはもう少しだけ先になると思います。
これを作ること自体大変だったと思うんですが、住民が「本当に知りたいこと」を全部網羅できている内容ではないですね。

まあそこまで全部書こうとすると、膨大な量になりますし予算もかかってしまいますからね〜。
でもこれだけで「合併に対する住民の不安」は解消できないでしょうね。

僕も知り得た情報は「ドンドン」発表していきたいと思っています。

で、今日の委員会では「支所の人員配置」や「合併後の役場利用について」などが説明されました。
知っている方もいるかもしれませんが、合併後「大江支所」に残るのは38名です。

支所長「1名」、副支所長「1名」、参事「1名」
総務防災係「6名」、住民係「5名」、福祉係「4名」、農林係「3名」
経営戦略係「4名」、企画振興係「3名」

これに加えて、市役所本庁関係部署直轄として
産業建設担当「1名」、教育担当「1名」
上下水道担当「2名」、災害復旧担当「3名」
プロジェクトチーム(緊急水防災現地対策)「3名」

これで計「38名」となります。大体今までの半分程度の人数ですかね。

で、合併により、役場庁舎には使わなくなる部屋が幾つもできます。
それらについての説明もありました。主なものは…

町長室→「会議室」として利用。
助役室・収入役室→「相談室」として利用。
教育委員会が入っていた部屋は「大江地域公民館」として利用されます。
議会事務局は「文化財資料館」として利用されます。
そして議場は、ってもう直接見て下さい。その方が早いですから(笑)。

「合併後庁舎利用図一階」「合併後庁舎利用図二階」
少し文字が小さいので見づらいかもしれませんが「我慢」してください(笑)。
で、議場は「議長席」や「理事者・管理職の席」を取り払って、多目的に使用できるように改良されます。

僕も一度「ライブ」をやってみてもいいかもしれませんね(笑)。

一旦説明を受けた後、質疑に入りました。
僕も議会広報委員なので、メモはかかさず取っています。
ただ今回「細かく多岐にわたる」質問が連発されましたので、まだまとめきれていません(笑)。

主な報告はまた後で!

何せまた「違うイベント」のチラシを作っていますから…。

2005年12月12日

視察終了しました!パート3

やっと「河守まちづくり委員会」が終了しました。
委員会の様子も報告しますが、まずは視察の報告の続きを(笑)。

どこまで書きましたっけ?(笑)

あっ、そうそう「口北原」まで書いてましたね。
ここでちょっとした発見をしました!
口北原に流れている川って「大谷川」という呼び名なんですね。
photo033.jpg恥ずかしい話ですが、今日初めて知りました。
で、林道は「大谷林道」と言うらしいです。と、なると河守にある大谷川と全く同じ呼び名ですね〜。
混同しないようにちゃんと覚えておきます。

でわ「本題」に入ります(笑)。

で、これでとりあえず午前中の視察は終了しました。
この後グリーンロッジに向かい、昼食休憩をとりました。

そして昼食休憩を終えたあと、次の視察地に向かいました。
次は二箇上の「下水処理場現地」に向かいました。

起工式に出席してから数ヶ月ですが、結構できていますね〜。
photo024.jpg担当課長の説明によると、「早ければ4月の利用可能地域もあるのでは」とのことでした。ただあくまで「早ければ」ということですから、実際は「5月」が開始時期くらいになるようなことを言っていましたね。まずは小学校などの施設が優先されると思いますが、なるべく早くみんなが利用できるようになってほしいですね。

続いては「千原可燃物処理場」に向かいました。
ここは閉鎖が決まっています。でも「もったいない」気がしますね〜。
で、現場に到着して、「寂しい」気持ちになりました。
理由は↓の写真を見ればわかると思います。
photo025.jpg見事に「何もありません」よ、本当に「あれっ?」と一瞬思いましたからね。しかし見事になくなりましたね。僕が「寂しく」なった気持ちがわかってもらえたでしょうか(笑)。もちろん町民課から報告も受けていましたし、解体されたのも知っていました。けど実際に「現場」を見るとやはり「寂しく」なります。今更ながら「あ〜、本当に合併するんだな」って思います。

この後は千原の築堤工事の状況を見に行きました。
写真は河東公民館から撮ったものです。
photo026.jpgphoto027.jpg
とりあえず「計画高」までの土盛りはほぼ終了しています。
これから大事なのは「町全域」を見据えた、治水計画が必要でしょうね。
これだけの堤防を作ると、規模に応じた「橋」も必要ですしね。


この後は幾つかの「道路改良」の様子を視察しました。
災害とは直接関係ないのですが、今日の視察は「災害関連」だけではないので写真は載せておきます。

photo028.jpg←は「フケ線」です。正直呼び名「初めて」知りました(笑)。場所は常津ですね。本当はこの前に尾口の「風呂谷丁田線」にも立ち寄ったんですが、「写真」撮るの忘れてました。まあ人間ですから「ミス」はつきものです(笑)。

この後は河守築堤の状況を見るために、波美に向かいました。
現状はこのような感じになっていますね。
photo029.jpgphoto030.jpg
しかし、これだけの高さになると、ちょっと「川が見えない」恐怖がありますね。
堤防を作るだけでなく「内水」対策も必要になってきますね。
これは僕だけの意見でなく、全議員の思いですね。
「災害に強い町」は町民全ての願いだと思います。

で、その後は「最終視察地」に向かいました。
向かったのは北四でした。
「宮ノ奥川」でした。僕は災害当時の写真を持っていないので、現在の写真を載せます。
photo031.jpg写真で見ればこの川も小さいんですけど、川側の人家は浸水したそうです。で、災害当時は、土砂で「宮ノ奥川」は埋まってしまったそうです。正直想像がつきません。災害当日は凄い勢いで、水が流れていたそうです。

この後、役場に向かい、解散となりました。
今回の視察を終えて思ったのは、「復旧に向かう大江町」と「真の復興を待つ大江町」があるなということです。
確かに復旧は進んでいますが、まだ全てが終わったわけでもありません。

真の復旧、そして復興はこれからです。

そのことを強く認識しました。

視察終了しました!パート2

長々と書いていましたが、まだ続きがあるので書きます(笑)。
ちなみにまだ「午前中」のことも書き終えていません。

橋谷を視察後、僕たちは「北原」に向かいました。
ここも災害後に視察に来て「…」となった場所です。

まずは「内宮北原線」「北原川」に向かいました。
ちなみに昨年の様子はこうでした。
photo018.jpgこの写真は議会視察で撮影したものではなく、それ以前に撮影したものです。もうこの時はただただ「…」状態でした。大江山山麓の水量が多かったとは聞いていましたが、まさかこれまでとは思いもしていませんでした。町内の様子を知りたくて、回っていたんですが本当に自然の力の凄まじさを思い知らされました。

photo019.jpgで、これが議会で視察に行った時の写真です。僕が行った時からそんなに日数は立っていませんでしたから、もちろん状況はそのままでした。ただこの奥の人家の様子を知っている人がいませんでしたね。実はこの奥の家も土砂崩れで、家に泥が大量に流れ込んでいました。上の写真を撮った時に僕は、その奥の家も訪ねたんです。その時は親戚の方などが、家の泥を運び出していました。どうやら道路がこの状況だったので、被害状況が伝わっていなかったようです。やはり各地区に防災支部があるのだから、被害状況が正確に認識できるシステム作りが今後求められるでしょうね。そのためには支部と地域の繋がりをこれまで以上に密接にする必要があると思います。ちょっと話ずれましたね(笑)。

で、現在の内宮北原線はこのように復旧しました。
photo020.jpgphoto021.jpg
本当に奇麗になりました!
聞く所によると、舗装が完成したのは先週の土曜日だそうです。
災害から1年以上立ちますが、まだ完全に復旧が終ったわけではないことを改めて感じました。

photo022.jpg←の写真は北原川です。こうやって見れば小さな河川なんですが、自然の力によってあれほどの被害を生み出すのです。本当に自然の力の凄さを思いしらされました。

で、北原に来るまでに移動中の車で会話をしていたんですが、山は本当にそのままです。
他の議員が「何とかならないのか?」と課長に聞いておられましたが、
「まずは個人が動いてもらうことが先決」との答えでした。
個人所有物を行政が勝手にはできない、ということです。これは確かにそうだと思います。

「自分でやらなきゃいけないのなら、放っておく」と考える人が多いのでしょうか?
もちろんそういう考えの人がいないとは言えませんが、「そこまで手が回らない」のが現状なのかもしれません。
あれだけの災害の後ですから、なかなか山に手をつけようと考えられないのかもしれません。
しかしこのままでは、山は荒れる一方ですし、次同じような台風が来たとき被害は「昨年以上」になってしまいます。

やはりこれから大事なのは「行政依存体質」から脱却し、行政と地域が「恊働」していくことが必要でしょう。
特に合併を控えた大江町に、意識改革が求められるのではないでしょうか。

で、続いて「口北原線」に向かいました。
この道路が被害にあったために、災害時には完全に交通ができない状態になっていました。
救援物資がヘリコプターで送られたのもそのためです。
被害状況を伝えるために、当時の区長が歩いて報告にいったそうです。
その行動力には頭が下がります。本当に大江町民たくましいです!ぜひ見習いたいものです。

それで…、すいません災害当時の写真がないんですよ。
撮ったはずなんですけど…。
と、いうことで復旧した様子だけを載せます。
photo023jpg凄いです…、全く「別の道路」に生まれ変わりました。道幅も確保されていますし、舗装も完了しています。こういう状況を見ると「少しづつ復旧が進んでいる」ことを実感できます。

で、すいません全部報告をしたかったんですが、今から「河守まちづくり委員会」に行ってきます!

残りはまた後で!

行ってきます!

視察終了しました!

今日は「災害復旧」などの進行具合を見るための現地視察でした。
昨年の今頃にも災害現場を視察に行きましたが、その時点では「これは本当にもとに戻るのか…」
と、いうような状態の所ばかりでした。

では視察の報告を行いたいと思います。
photo002.jpg

今日は「町内全域」を視察しましたが、基本的に担当課から説明をうけたものを報告します。

まずは「小谷」を視察しました。
ここは人家の崖が崩れそうになり、大変危険な箇所でした。
photo003.jpgphoto004.jpg
視察に行っている議員の大きさと比較すればよくわかると思いますが、かなりの規模で崩れています。
説明に振興局から3名来て頂き、復旧事業の内容説明を受けました。
住んでいた人は「台風の時は雨風の音が大きく、崩れていることには気付かなかった」そうです。
で、緊急性・早急性の面からも早い対策が必要だったわけです。

そういえば振興局の方が「もっと復旧したいとことはあるんですが、財政事情が…」とも言っていました。
確かに現在の国・府の財政事情が厳しいのは理解しています。
でも僕らはそれでも要望を止めるわけにはいかないんですよね(笑)。

次は「菖蒲谷屋敷線」に向かいました。
ここもかなりの崩れ方をしていたんですが、現在はこうなりました。
photo005.jpg何かこれだけ見ると「大丈夫?」と思うかもしれませんが、登ってみたら「かなり頑丈」だったので大丈夫だと思います。ただ子どもが登ったりしないように、気をつける必要はあるかもしれません。ちょっと担当課長に聞きそびれんたんですが「どれくらいの年月もつのか?」疑問には思いました。ただ災害箇所に合わせて適正な措置を取っていると思うので、安心していいものだとは思います。でも「見た目」はなんとかならないんですかね〜(笑)。まあ見た目より「内容重視」なのはわかってますよ!

続いて「河西金山線」に向かいました。
ここは河西地域にとっては、かなり重要な道路で一日も早い復旧が望まれていました。

ちなみに昨年視察に来た時の現場は↓の状態でした。
photo006.jpgイヤこれは本当にもう「自然の驚異」を物語ってますね。一体どれくらいの力がかかったら、こうなるのでしょうか?本当に自然の力は「魅力的」な一方で、「驚異的」でもありますね。台風23号は由良川を氾濫させただけではなく、山地にも大きなダメージを与えたことがわかります。

しかし人間の力も凄いのです!現在ここまで復旧しました。
photo007.jpgあっ…、すいません、あまり「復旧」したような写真撮れてないです(笑)。ただ本当に「昨年」のことを考えたら、「よくここまで」という状態に復旧しています。今後の予定としては「何とか年内に開通を」ということでした。ここが復旧したらかなり交通的には便利になると思います。しかし僕ももうちょっと、考えて写真撮らないとダメですね(笑)。

続いて「小原田公庄停車場線」に向かいました。
様子はこんな感じです。
photo008.jpg実はこの現場は、一度作業中に「さらに崩落」があったそうです。確か町内放送でも「通行禁止」言っていたんじゃないでしょうか?現場で作業をしていて「小石が少し落ちてきた」そうです。それで「危険だ!」ということで、早急に避難したそうです。そしたらその後すぐに、大量の土砂が落ちてきたそうです。幸いにも人的被害はありませんでした。しかしさすがプロですね、現場の「危機回避」能力が凄いです。で、その後、写真のような状態になっています。


ちょっと記事が長くなりそうですが、大事なことなので続けます。
続いては「天田内」に向かいました。農地災害の復旧状況を視察するためです。
僕は昨年の災害後、河守防災支部で河守井根の視察に行きました。
その帰り道で天田内を見て正直「これは本当に復旧できるのか…」と思いました。
現状はこのようになっています。
photo009.jpgまたまた「復旧度合いがわかりにくい」写真ですけど、勘弁して下さい。しかし、本当にこのあたりもかなり復旧が進んでいました。正直1年前を想像すると驚きです。やっぱり自然も凄いですが、人間もたくましいです「特に大江の人」はたくましい!で、担当課長からの報告がありました。「農地災害155件中152件は発注済み」だそうです。残り3件は年内に発注したかったそうですが、新市に引き継ぐことになったようです。

ちなみに視察現場の数が多かったので、僕も記事内容を間違えているかもしれません。
もしこのサイトを見ていて「おかしいのでは?」という所を発見したら、ご連絡下さい。
特に「もしも」担当課長がこの記事を読んで「それは違う!」という所があればご指摘お願いします。

僕も「間違えた情報」は発信したくないですからね(笑)。

さらに続いて「橋谷」を視察に行きました。
ハッキリ言ってここの災害当時の様子は「凄まじい」の一言でした。
ちなみに↓が昨年議会で視察に行ったとき撮影したものです。
photo010.jpgphoto011.jpg
photo012.jpgphoto013.jpg
本当に「どういう力が働いたのか」全く想像できません。
振興局の方が「不幸中の幸いはここに人家がなかったこと」と言っておられましたが、本当にその通りです。
もしここに人家があったら…、想像しただけで寒気がしますね。
何度も言っていますが、この現場を見た瞬間も「これ一体どうやって直すの?」と思いました。
山地被害はここが最大級でしたからね。

しかし、しかしですよ、本当に人間の力も凄いものです、ここまで復旧させるんですから。
photo014.jpgphoto015.jpg
photo016.jpgphoto017.jpg
説明によると、ここは地盤が柔らかいためにコンクリートでの工事が無理だったそうです。
歩いてみましたが、確かに地盤は柔らかかったです。
そこで写真のような形式の工法を選ばれたそうです。
あれは「ダム」の一種で、鋼性の枠組みのなかに石を詰め込んだものです。
僕のもらった資料には「治山ダム」と表記されていました。それを3基設置したのが今回の事業です。
治山ダムの向こうには、水を流すための水路も確保されていました。
しかしさらに上部に対する対策が必要なため、現在調査が行なわれています。
取りかかるのは平成18年度から19年度にかけての予定だそうです。

さすがにちょっと長いと思うので、分けて書きます(笑)。

視察に行ってきます!

今日は午前9時から「総務文教常任委員会」「産業建設常任委員会」「由良川治水対策特別委員会」
これらが合同で視察に行きます。

まあ言い換えれば「議員全員」で視察に行くということです(笑)。

そういえば、以前「どうやって同時に委員会を進行するのだろう?」と書きました。
さらに「これはミスだと思います」とも書きました。

なるほど!こういうことだったんですね(笑)。

おっと、もうすぐ時間なので行ってきます!

2005年12月 8日

今回「一般質問」ができなかった理由

僕は今回「一般質問」をしません。
正直に言えば「質問」が浮かびませんでした。

議員にとって1時間という時間が使える、一般質問はなるべく「使う」べき時間です。
だから今回「一般質問」を僕がしないのは、結構な問題かもしれません。

ただ…。

僕が一般質問を今回できなかった理由は「質問」が浮かばなかったことが大きいです。
一般質問は15日から始まるのですが、残り半月の「町長」に何を聞いていいのかわからなかったのです。
どんな答弁を貰っても、来年の1月1日には失職する人です。
「頑張って推進する」と言われても「根拠」がありません。

僕はそのような答弁は別に欲しくありません。

また管理職の人達も新市において「どのポジション」にいくか不確定です。

担当課の人間が合併後も同じ「仕事」を担当する補償はありません。
その中で「検討する」というような答弁を貰っても確実性は薄いと思うのです。

それでも今回「一般質問」をする議員の質問が無駄になるとは考えていません。
合併を目前に控えてるからこそ「言いたい」ことがあるのだと思います。

ただ僕はこの「合併を控えた時期」こそ、前をみて歩きたいと考えています。

言い訳に聞こえるかもしれませんが、どうしても現状の行政に対して質問をする気が起こらなかったのです。

僕が今言えるのは、現在の役場職員のみなさんに
「大変でしょうが合併後も頑張って下さい」としか言えないです。
実は一番最初に合併後に環境が変わるのは「職員」なのです。

僕が今回「一般質問」をできなかったのは、それらの要因が絡んだからです。

でも議員としては、最後の議会で一般質問ができなかったのは「ダメ」だとも理解しています。
今でも「やはり質問をするべきだったかな…」と考えています。

ただ合併を控えた今こそ「前を見て進むべき」だと思っています。
もちろん「後ろを振り向かない」という意味ではありません。
僕は「前をしっかり見据えて歩きたい」のです。
足下をしっかり見て、前を見て、時には後ろを振り返る、そんな人間でいたいのです。

う〜ん、長くなったわりには「意味不明」かもしれませんね(笑)。

寒い中でのシャボン玉

たった今、議会広報の表紙写真撮影から帰宅しました。
今回の表紙に「保育園児がシャボン玉を作る写真を」という委員長の提案があったので、
本日一斉に写真を撮影することになりました。

2班に分かれ、各保育園で撮影を行うことになりました。
僕らの担当は「河東保育園」だけなのです。
理由は「河守保育園が工事中のため、河東保育園と合流しているから」です。
fhoto069.jpg

で、10時からの撮影予定だったが、早く着きすぎてしまいました。非常に「寒い!」としか言いようがなかった(笑)。
ただ天気は晴れていて良かったです。雨ならばシャボン玉は不可能になりますからね。

子どもたちは僕たちと違い「寒さ」を感じないかのような元気さでした。やっぱり子どもは元気が一番です。
しかし僕にも「寒さを感じず元気に遊んだ」時期があったはずなんですが、とにかく「寒さ」しか感じませんでした(笑)。

ちょっとグランドが日陰だったので、シャボン玉が奇麗に写るか心配でした。
なのでいつもの「下手な鉄砲数うちゃ当たる」戦法で写真を撮りまくりました。

fhoto067.jpgfhoto068.jpg

最近の子どもたちの中には「シャボン玉初めて」という子もいたようです。う〜ん、僕らの時代には考えられなかったような答えでしたね。

やはり外で遊ぶことが減っているんでしょうか?まあ子どもの数自体が減っていて、遊ぶ友達が少ないとも聞いていますが、やはり少子化対策は今後さらに必要になるでしょうね。

で、話は変わりますが、今回は「シャボン玉セット」なるものを使用していました。ようは「最初からシャボン玉液」が作られているセットです。

僕らのときは「石けん水」を自分達で作っていたんですけどね〜。
やはり時代が違うのでしょうか、でもさすがに「わら」でシャボン玉は作ってないです(笑)。

とにかく寒かったですけど、子どもたちの元気で楽しそうな顔が見れて良かったです!

2005年12月 7日

ただいま終了しました

今日から12月定例議会が始まりました。
で、今終了して帰ってきました。
「非常に早い!」まあ議案数が「5」ですからね〜。

僕は議会広報特別委員会に所属しているので、本会議終了後広報の打ち合わせ。今回の一般質問は6名の方が行なうこととなりました。ちなみに僕は今回一般質問はしません、っていうより「できません」でした。何故なら「質問を思いつかなかった」からです。

一般質問は12月15日から行なわれますが、やはり「残り半月の人に何を聞いたら…」という思いが強く質問が浮かびませんでした。「喋ってなんぼ」なんですけどね〜、議員は(笑)。

で、広報の打ち合わせが終った後、河守議員団で防災支部についての話し合い。そして12月24日の「イベント」について若干話し合いをしました。

また詳しい内容は後ほど報告したいと思っています!

あっ、最後に僕「昨日携帯壊しました」(笑)。

2005年12月 5日

12月定例議会の会期予定です

今月7日からの会期予定がこれです。(「これ」をクリックしてください)
どう考えても12月12日の予定は「不可能」だと思うんですが?

まあ「総務文教常任委員会」と「産業建設常任委員会」は7人づつの議員で構成されているので、同時刻に委員会を行なうことは可能だと思います。けど「由良川治水対策特別委員会」は議員全員が所属している委員会なんですけどね〜。どうやって「午前9時」にこれらを行なうんでしょう。たぶん「ミスプリント」だと思うんですけどね(笑)。

ちなみに今回の議案は「5」です。前にも言いましたが、僕が議員になってから最小です。まあ当たり前と言えば、当たり前なんですけどね〜。

で、僕はまだ「一般質問」をするかどうか悩んでいます。だって「話すこと」本当にありませんから、質問のしようがないんですよね〜。

まああと1日あるのでもうちょっと考えます。

2005年12月 3日

議案書が届きました

今月7日から始まる12月定例議会の議案書が届きました。
今回は最後ということもあり「非常に少ない」です(笑)。
まあほとんどは11月の時点で終ってましたからね〜。

fhoto058.jpg

ちなみに議案の数は「5」です。僕が議員になってから最小の数です。
ちょっと切ないですね〜。

今回目を引いたのは、おそらく全戸配付されるであろう(もうされたのかな?)「くらしのガイド」ですね。僕としてちょっと遅いような気がしないでもないですが、なにしろ項目数が多いので時間がかかったのでしょう。役場職員も今は忙しく大変な時期ですからね〜。

fhoto059.jpgしかし今回の議案数から「本当に合併するんだな」としんみり思いました。「何をいまさら」と言われそうですが、やはり寂しいものは寂しいですね。

また12月定例会の日程等は詳しく報告します。ただ「一般質問」をするかどうかで悩んでいるんですよね。だって残り「半月」で失職する町長に質問してもな〜。何を聞いたらいいかも検討がつきません(笑)。

今日は消防の忘年会に行ってきます!